聖徳太子未來記のあらすじ予言!クハンダとは?2030年に何がおこる?

最近、聖徳太子の予言書というのが話題になっていますね。
この聖徳太子の予言書「未來記」では、2030年を予言しているとされる文言があるとか・・・
また、この未来記に出てくるクハンダとの関係も気になるところ・・・
この聖徳太子の予言書と言われている「未来記」には一体・・・何が書かれているのでしょう。
今回はそんな昨今、流れている噂と合わせて、聖徳太子の予言書「未來記」について、2030年の予言は?クハンダは?といったところについて、ご紹介していきます。
聖徳太子・未来記のあらすじ!クハンダとは?
聖徳太子は、半ば伝説上の人物で、古事記や日本書紀に登場しますが、同時代の史料には登場しません。
大げさな名前ですが、これは後世の資料で使われた尊称です。そのまま平安時代以降の資料では、聖徳太子という名前が定着しました。
現在では、学校教育でも「厩戸皇子」「厩戸王」と教えています。が、この「厩戸」というのも戦後に推定された名前が広まったもので、古代の文献では見当たりません。
古事記では「上宮之厩戸豊聡耳命」、日本書紀では「厩戸豊聡耳皇子命」と、表記されています。
当時の国家体制の確立に活躍し、仏教の興隆に一役買っていたりします。
とても聡明だったとされ、一度に十人の話を聞き分けた等、伝説の多い人物でもあります。
日本書紀では兼知未然(起こる前から、そのことを知っている)と書かれています。
そのため、未来予知が出来るなんて話が出来上がり、後世に「未来記」なんてものの存在が噂されるようになりました。
聖徳太子の予言には、次のようなものもあります。
私の死後200年以内に、山城国に都が築かれ、1000年に渡って栄える。しかし『黒龍』が訪れ、都は東に移される。しかしその東の都は200年後、『クハンダ』が来て、親と7人の子どものように分かれるだろう
私の死後200年以内に、山城国に都が築かれ1000年にわたって栄える
聖徳太子の没年は、622年。794年に山城国に平安京が築かれます。
172年後なので、200年以内という予言に合った内容ですね。
それから、1000年にわたって、栄えるとあります。平安京(京都)は、まだ栄えているようにも見えますが、次の内容からして、都が東京へ移されるということのようですね。
しかし「黒龍」が訪れ、都は東に移される
「黒龍が訪れて」というのは、黒船来航を指しているようですね。
黒船来航は1853年になるので、794年から1053年後となります。約1000年と言えますね。
黒船来航から始まる明治維新によって、1868年(明治元年)に東京奠都で、天皇が東京へ移り住みます。
ここまでは、過去の出来事として、当てはまることを確認できますね。
しかしその東の都は200年後「クハンダ」が来て、親と7人の子供のように分かれるだろう
ここからは、未来の話になりますね。
「東の都は200年後」とありますので、1868年の東京奠都から数えて200年後というと、2068年になりますね。
平安京から1000年という予言が、1053年後となっていたことからして、50年くらいは幅を持たせていいでしょう。
前後、50年くらいの幅を持たせて、2018年~2118年の間くらいで考えてよさそうです。
この期間のどこかで、「クハンダ」がやってきて、親と7人の子供のように分かれるとのことです。
クハンダというのは、仏教上の「末世に現れる鬼」だそうです。いわゆる仏敵というやつでしょうか。
末世に現れるということで、北欧神話の巨人とか、キリスト教やユダヤ教のレビヤタン(リバイアサン・ベヒーモス・バハムート)みたいなものでしょうか。
シヴァ神の化身、マハーカーラというのもしっくりきそうな気もします。
とにかく、終末を象徴する恐ろしい存在だということですね。
中国やロシアといった大国が攻めてきたとか、昨今の世相からすると、伝染病というのもありそうですね。
そして、クハンダがきたっことで、「親と7人の子供のように分かれる」そうです。
これは、国内分裂を指しているのでしょうか?
親となる中央政府と、7つの独立勢力に分かれて、日本は群雄割拠の時代に突入…は言い過ぎとしても、7つの独立勢力なり、他国の支配地域なりができてしまう様子を想像します。
あるいは、地殻変動で東京が本州から離れて、7つの島になってしまうのでしょうか?
また、私なぞ想像もつかないような、事態で「親と7つの子供のように分かれる」のかもしれませんね。
また、オカルト界隈では、2019年の天皇譲位の時、一時的に霊的な守護力?が弱まる4月30日から5月1日に、このクハンダが来襲するなんて噂が流れたようです。
聖徳太子未來記のあらすじ!2030年に何がおこる?予言まとめ
聖徳太子の未来記は、度々、後世の事件を言い当てたとして風聞に出てくることがありました。
でも、誰もその存在を明かすことができないんですよね。牛の首かしら?
未来記が言い当てた歴史
聖徳太子の「未来記」が、言い当てたとするエピソードを2つほど挙げてみます。
承久の乱
公家で歌人の藤原定家が、日記「明月記」の1233年11月20日の記述に、瑪瑙の石箱が発見され、そこに聖徳太子の未来記が刻まれていたと書いています。
予言の内容は、承久の乱を言い当てたことでした。
建武の親政
鎌倉時代から室町時代への時代の移り変わりをかいた軍記物「太平記」の中で、楠木正成が未来記の一部を読んだというエピソードがあります。
これにより、楠木正成は、後醍醐天皇の復帰と親政を確信したとされます。
それなら、建武の親政がすぐに失敗することも分かっただろうに…
まぁ、「太平記」は、そもそも歴史書ではなく、小説の類です。フィクションを真に受けても仕方ありませんね。
2030年に世界が滅ぶ
数々の予言を記した未来記には、2030年頃に世界が滅ぶといった内容のものがあるそうです。
どういった内容なのか気になり、調べてみたのですが、その内容を下記します。
といっても、ネタ元が分からなかったので、ネットから適当に引っ張ってきたものなのですが‥
2030年ごろに人類が滅亡の危機に瀕する
九大を損じ、先ず日沈み、万乗おとろう
天、不義を憎んで、怪物を下す
この中の、九大というのは、宇宙を構成する要素で、万乗はこの世の全てくらいの意味のようです。
なので、
2030年ごろに人類が滅亡の危機に瀕する
宇宙が無くなり、先ず太陽が沈んでなくなり、全てのものが衰退する(おとろう=衰える)
天は地上にはびこる不義に腹を立て、地上に怪物を遣わす
といったくらいの意味でしょうか。
カタストロフですか。宗教間違えてません?
この部分、未来記にはどう書かれていたんでしょうね。だって、聖徳太子が西暦で2030年なんて書けるわけないし、どうやって「2030年ごろ」って表現したのか気になります。
とにかく、2030年ごろに、空から怪物が下りてきて、あんごるm…じゃなくて、世界を滅ぼすそうです。
そんな、聖徳太子の終末論を受けて、2030年に起こり得ることとして、ネット上で色々な噂が飛び交っていますね。
以下にその例を紹介します。
- 中国がGDPでアメリカを越え、世界征服に乗り出す。
- 人工知能が発展し、「ターミネーター」の世界観へ
- 超高齢化社会が世界規模で問題化し、出産率も低下、世界規模で社会が維持できなくなっていく。
- 氷河期の到来
- 世界人口が90億人を超える
- 南海トラフ地震
2030年、何が起こるのかしら?
1999年が不発だったので、今度こそ、何か起きて欲しいですね。
まとめ
歴史上、聖徳太子の「未来記」が「発見」されて、その予言が当たったことに驚かされるという話は、度々あったそうです。
その中には、末世思想的なものもあり、2030年に世界が滅び去るというものや、2069年?2019年?に東京が分断されるといったものがあります。
「東の都にクハンダが来る」というのは、元をたどると五島勉『聖徳太子「未来記」の秘予言』(青春出版社)にたどり着くそうです。
この五島勉氏は、「ノストラダムスの大予言」の著者で、「1999年人類滅亡説」の火付け役の人です。
この『聖徳太子「未来記」の秘予言』より前に、「クハンダが来る」なんて予言は出てこなかったそうです。
著書を見ると「2000年5月5日 ポール・シフト⁉」「地球週末の日はいつか?」「1999年以降 ヒトラーだけに見えた恐怖の未来図」「イソップ物語…が暗示する人類の未来」「エドガーケーシーの最終予告…」「H.G.ウェルズの予言された未来の記録」…
ちょっとしたデマを、面白おかしく背びれ尾びれ付けて、ネット上で広めた結果が、今回の聖徳太子終末論といった見方もできそうですね。
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